No.143 岡倉天心と茶の本 2007(平成19)年1月号掲載


 福井は日本のドマン中「日本のヘソ福井」第143回は「岡倉天心と茶の本」の話です。

 岡倉天心は、28歳の若さで東京美術学校の校長に就任後、横山大観、下村観山、菱田春草らの日本を代表する芸術家を育てました。
また49歳の時に、アメリカのボストン美術館で東洋部長を務め、日本だけでなく東洋文化の発展のために尽くされたことで知られています。
天心の両親は、福井(当時は越前藩)生まれで、天心の父勘右衛門は、越前藩が横浜に作った商館の支配人でした。
天心は横浜で生まれましたが、両親が育った福井を自分の故郷と自慢し、度々福井に遊びに来ていました。
天心の両親の墓は、福井市の西超勝寺にあり、また福井市内には郷家の跡や天心銅像があり、福井と縁の深い人物です。

 天心44歳(1906年)の時に、ニューヨークで「THE BOOK OF TEA(茶の本)」というタイトルの本を英語で出版しました。
アメリカでは、瞬く間にベストセラーになり、フランス語やドイツ語など約10カ国語に翻訳され、多数の国々で読まれることで、日本の文化が世界に紹介されました。
第一章「こころの茶」では、「長い歴史の中で、アジアの文化が西洋に認められることは殆どなかったが、 "お茶"だけは、何のためらいもなく簡単に受け入られている。 お茶は、西洋と東洋の文化が交流するきっかけを作った」と述べています。
また茶室、芸術鑑賞、花と茶道を通じて日本文化を紹介。
最後に茶の宗匠として千利休を取り上げ、また利休の最期を表現しています。

 昨年は、天心が「茶の本」を表してから100年目に当り、福井県立美術館に、この本の初版本が納められています。
また同美術館には、天心に学んだ芸術家の作品が多数展示されています。
福井を縁とした日本文化の紹介でした。