No.122 東諏訪間1号墳 2003(平成15)年1月号掲載


 福井は日本のドマン中!「日本のヘソ福井」第122回目は、古墳が居宅地にある「東諏訪間1号墳」の話です。

 曹洞宗大本山永平寺は昨年、開祖750年の大きな節目でした。
その永平寺の近くは諏訪間に、紀元6世紀初頭から7世紀後半までに築造されたと考えられる、 直径が約15mの円墳が「東諏訪間1号墳」です。
ここは諏訪間を貫流する永平寺川の右岸約250m、東方丘陵の西方斜面と谷部が隣りあう、標高約60m付近にあります。

 永平寺町が、この史跡の保護と保存・活用を目的にして、昭和60年8月に学術調査、 昭和61〜62年度に石室の復元と周辺の環境整備を実施。
その結果、この地域一帯を支配した豪族とその一族の埋葬施設であり、横穴式石室をもつ円墳であることがわかりました。
主な出土遺物は、死者に添えられた須恵器の食器や、死者を送る儀式に使われた土師器の甕や、 須恵器の大壷などがありました。
また、この古墳の前堤部より縄文式土器も出土しています。

 1400〜1500年余り前に、この辺りで生活した人々や眠りについた豪族達は、どんな生活を営んでいたのでしょう。
夢は無限に広がります。

 それにしても、当地にお住まいで従前から面倒を見てこられた、岩崎忠信さんの宅地内にある小さな古墳は、 正に「日本のヘソ福井」に相応しい、いにしえの大きな遺産のひとつ。
大事にしたいものです。