ユーザーを訪ねて No.117
株式会社 栗崎歯車製作所

ハイグレード・ギアのクリサキ― スピードに挑むメカニカル集団!
歯車製作の技術とノウハウが結晶される 株式会社 栗崎歯車製作所 宇都宮工場


株式会社栗崎歯車製作所 クリサキ
本   社東京都大田区仲池上2-27-16
宇都宮工場
 電話番号
 FAX番号
 E・メール
栃木県芳賀郡芳賀町芳賀台185-1
028-677-0725
028-677-0727
kurisaki@wc.so-net.ne.jp
代 表 者代表取締役社長 栗崎 禮子氏
資 本 金 5,000万円
売 上 高5.5億円(平成16年3月期)
従 業 員 数32名(うち臨時従業員3名)
主 要 事 業特殊精密歯車(ギア)の製作

株式会社栗崎歯車製作所
栗崎歯車製作所宇都宮工場の前景


栗崎レイコ
栗崎 禮子
株式会社栗崎歯車製作所社長

 「夢中になって設備投資に追われ続けた20年間でした―」と開口一番話されたのは、超高精度・超耐震性・超強度そして超耐久性などハイグレードな特殊歯車(ギア)を80年、 作り続けられた、株式会社栗崎歯車製作所の社長・栗崎禮子氏(60歳)です。
大正13(1924)年8月に東京・芝白金町に歯車工場を創設の同社は、栗崎社長の祖父、栗崎文次郎氏が創業。
以来、昭和19(1944)年12月の空襲被爆で工場が壊滅するなど、筆舌に尽せぬ数多くのダメージを克服。
「栗崎歯車の伝統的技術と技能、先進性」で事業を展開され、その実績が本田技術研究所に認められてホンダの協力工場に選定。
ホンダの飛躍と軌を一にして、同社はホンダと共に大きく発展してきました。

 その間、創業者の栗崎文次郎氏から昭和21(1946)年、代表者が同氏の長男・栗崎精一氏へ引き継がれ、 昭和41(1966)年には栗崎精一氏の次男、栗崎和久氏に変更。
さらに昭和58(1983)年には、栗崎精一氏の長女で和久氏の妹・栗崎禮子氏が、同社4代目の代表者に就任されました。
同時にF1レースに注力の本田技術研究所との取引関係を深めるため平成元(1989)年、宇都宮市東部近郊でホンダテストコース近くの芳賀公業団地に、 同社宇都宮工場を新設し操業を開始。
合わせて世界的に超一流の歯車研削盤などの設備機器を導入、新しい技術革新への布石を先行し、積極的に事業を展開。
大きく業績を伸展させ、今日に至っています。

 第117回目の「ユーザーを訪ねて」は、最も精緻な技術と技能が要求され、 ハイグレード・ギアを製作されている高度な技術・技能集団の、株式会社 栗崎歯車製作所 宇都宮工場を早春の2月、 栃木県宇都宮市東部近郊の芳賀工業団地に、お訪ねしました。


歯車製作、一筋に創業80年! ハイグレード・ギアな技術とノウハウの蓄積

 同社は創業から今日まで一貫して、歯車の製作に徹してきました。
永年つちかい蓄積してきた歯車製造に係わる固有技術、開発技術、設計技術、生産技術、検査技術や数多くのノウハウなどが、 今日の「クリサキのハイグレード・ギア」の製作に凝縮されています。
また「歯車を作るなら、歯車を作る工作機械も作らねば」との強い創業者の意志から、歯車製作用工作機械も製造。
「クリサキの歯切盤」のベストセラーマシンは、歯車工場で多く使われ、今も「栗崎の歯切盤」が最後の1台、現役で活躍中といいますから、 その先進的な工作機械製造技術は、驚嘆するばかりです。

 同社と本田技術研究所とは、昭和41(1966)年に就任の2代目代表・栗崎精一氏の次男・栗崎和久氏が3代目代表になってからで、 永年の同社の歯車製作の情熱と伝統的な技術と先進性が、革新的な発想と行動力に象徴され急伸中の、ホンダ技術陣に認められたからです。

 「昭和39年の東京五輪前後から、次男の栗原和久氏が中心になり、努力した結果です。 F1に挑戦されたホンダのチャレンジ精神に、栗崎も懸命に協力し努力してきました。 本田技術研究所から特急品の仕事がドンドン入り、それも殆んど試作品の1品や2品の単品生産。 修理品やマスター部品、F1部品などの歯車で瞬く間にホンダの仕事が100%になりました。」と当時のことを話される栗崎社長。

 昭和58(1983)年9月、栗崎和久氏の急逝に伴い同氏の妹で、2代目代表・栗崎精一氏の長女が、同社4代目代表の社長に就任。
さらに本田技術研究所の仕事に、究極的な絞り込みを行いハイグレード・ギアの製作で、密接不可分な取引関係を構築されました。

 栗崎社長は「95%がホンダの仕事。慣れるとつまらないですから、常に緊張感を持つため量産品はやらず、試作品に特化。 1個から10個、精々でも100個までの試作品です。 ホンダのF1用の歯車を通じて、ホンダの挑戦に栗崎は協力しています」と話します。

初代代表・栗崎文次郎氏が製作した歯車製作用工作機械
・当時ベストセラーマシンになり歯車工場で大活躍した
マツウラのV.Max-800/5AX 5軸制御加工マシニングセンタ


本田技術研究所の門前工場、クリサキ宇都宮
胸を張れる財産は、ホンダからの感謝状


 同社宇都宮工場は、ホンダの機密保持や納期の厳守、迅速な対応や緊密なコミュニケーションなどが要求されるため、 平成元(1989)年4月ホンダテストコースに近い、芳賀工業団地に新しく建設し、直ちに東京から移転し操業を開始。
さらに平成11(1999)年6月には、同工場を増築して床面積を倍増させ、設備の拡充と作業性の向上を図っています。

 「栗崎はホンダの門前の小僧ならぬ、門前工場。いやホンダの第3試作室と思っています。 頂いた仕事は、歯車ならどんな事も引受け、納期は最短3日程でもホンダの役に立つことならやっています。 ホンダさんから栗崎は“度胸があり、ドンブリ勘定とドタ感、そして直観的アプローチで何か憎めない”などと言われながらも、かわいがられています。 私も社長に就いて20年。 延べ20億円を超える設備投資をするなど、大きな苦労もしてきました。 けれど、めげず、いとわずやれば、何事も叶うとやってきました。 その結果がホンダ技術研究所から頂戴した、12枚もの感謝状です。 これが何も得手のない栗崎の、胸を張れる大きな勲章であり財産です」と栗崎社長が話されます。

 さらに「マツウラさんとのご縁も、一昨年秋の見本市で決めた一瞬からです」と話しは続きます。

 「仕事柄、新しい設備機械や新技術などは、充分な関心を持ち見本市や研究会、見学会には欠かさず参加してきました。 一昨年秋の東京見本市で、マツウラのブースにピラミッド型の切削見本が展示され、それに惚れ込みました。 あれだけの素晴らしい加工をするには、想像も出来ないような加工技術とノウハウがあるはずだし、 機械自体の作り込みも他社にはない、相違点があるはずだ、と思いました。 2日がかりで10回以上も、ブースを訪ねました。 マツウラさんの5軸制御の複合加工機という新しい機能をもたせた機械と、マツウラの真摯な開発研究への思いが、 私の琴線に触れて、私の即断になったんでしょう。 すぐ担当社員に調査研究を命じましたが、その結論を待つまでもなく、初日の第一印象で設備する、という決断をしていました。 でも本当に惚れたのは、工場立合で福井を訪ね、松浦社長にお会いし、工場を拝見した時です。 前向きな真剣さと、現場の物作りの生真面目な社員の姿を拝見し、ここで作った機械なら安心。 ハートのあるマツウラさんとは、これから末永く付合う、ご縁になりました」と―。


本田技研研究所から頂いた12枚の感謝状の1枚

設備購入メーカーで、実践的な社員教育を!メーカーの物作り現場で直接、身体で感じさせる

 栗崎社長が、同社へ入社して30年余り。
昭和46(1971)年に最初に携わった仕事は、経理関係の小切手振出し。
栗崎和久社長から“企業経営と経理のイロハ”を徹底して仕込まれ、その基本が身体に染み着き、これが今の社長業で存分に生かされているようです。

 「当社の経営は、明朗会計そのもの。 社長で兄の和久からは、いろんな人達に出来るだけ会えば、いろんな話しも聞け意見も聞ける。 それが自分の生き様に生かされる、といわれました。 代表の父も兄も早く死別、私にとって先憂後楽、先に苦労したことが、今では最高の結果になりました。

 さらに企業経営の基本である、優秀な社員作りでも“会社の為に働くな、自分の為に働け”と私は言ってきました。 つまり自己責任による自己努力ですね。 また栗崎は典型的な文鎮企業ですから、社員への教育には特に力を入れています。 そのひとつに、設備購入先のメーカーを社員に見学させることです。 設備の立合や検収時に、社員4〜5名を連れて、彼らの目で見、肌で感じさせること。 スイスのマーグやライスハウアーも例外でなく、立合検収時に4〜5名を連れて行きました。 昨年は福井のマツウラさんにも、3〜4名連れて行き、有意義な研修ができました。 社員が自分で、直にメーカーのトップの声を聞き、工場現場でメーカーの仕事ぶりが直接に見聞できる。 素晴らしい勉強になります。 マツウラさんは、特に真剣な松浦社長の話しに、同行の社員が感銘しましたし、物作りの真摯な姿が会社全体に漲っている、 本当の姿に接しました」と、企業経営と社員教育の極意の一部を吐露される、栗崎社長です。

優しさと感性が生んだ心配りと心遣いが、会社経営と工場現場の随所に!

 僅か30名余りの栗崎歯車製作所だけに、ハートを突き動かすような素晴しい着想の企業経営と社員教育を実践されている、栗崎社長。
その心には、女性特有の優しさと感性から生まれて、経験に裏打ちされたきめ細やかな心配りと心遣いが、 会社経営や工場現場の随所に伺えました。

 その社長の唯一の息抜きは「美術館へ行くことと、映画鑑賞」の由ですが 「株と絵画、そして茶道具は絶対買うなと、次兄から堅く止められ、それは今も約束を守っています」と言われながら反面、 ホンダとのご縁から、大の自動車好き。
「ホンダNSXというスポーツ車に乗りたいのですが、社員から旋盤が1台買えると言われましてね。 我慢してるところです」と、お茶目な一面も覗かせています。

 創業80年の今年、4代目の栗崎社長は「栗崎は、ほぼ20年毎に大きな節目を迎えてきました。 代表も私で4人目で、ほぼ20年毎に交替していますし、その前後には工場や設備なども見直してきました。 でも愚直なまでに、歯車の製作に栗崎はこだわり続けてきました。 これからも、歯車にこだわり続け、スピードに挑むハイグレード・ギアの極限に挑むメカニカル集団として、 一歩づつ地道に前進します」ときっぱり―。

 こんな栗崎社長の価値ある言葉を頂戴し、爽やかな気持ちで、早春の栃木路を後にして帰途につきました。

(渡辺 清一)




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