こんなユーザー No.100
軽合金加工のプロフェッショナル集団の、元気企業
―新港精機(にっこうせいき)
─ 新港精機製作所 ─


会社概要
商号有限会社 新港精機製作所
創業昭和39(1964)年1月
会社設立昭和45(1970)年4月
所在地本社 神奈川県横浜市
福島工場 福島県安達郡
代表者梅本 新一 氏
従業員数9名(社長を含む)
事業内容軽合金を中心とする部品加工製造業


工場と住宅(左側)が一体でパワフルに活躍する新港精機製作所の「技と力」



梅本新一社長(左側)と梅本孝宏製造部長

創業の精神を受け継ぎ、三代目を目指し修行中

 100回目の記念すべきこんなユーザーは、新横浜から車で10分の新港精機製作所様です。
同社は昭和39(1964)年、東京都大田区で梅本茂治氏が独立され、梅本製作所として創業。
創業者の精神は「常に挑戦」、当時から軽合金関連の加工に特化してきました。
「頑固一徹な祖父でした。発注先からクレームが出た時、そんな馬鹿なことは無いとノギスを持って乗り込み、製品の品質を認めさせた。 品質には絶対の信頼が、わが社の精神です。」と嬉しそうに話す姿に、創業者精神の継承を見ました。
本社工場は100坪で自宅の横に工場が隣設され、また発注先が福島へ移転した関係で、平成元年には福島工場も新設しています。

 昭和44(1969)年に現在地に新工場を建設し移転。
梅本製造部長の父で二代目の梅本新一社長は当時を振り返り、「当時は新横浜のホームが見えました。近くには二つしか工場はなく、また雨が降れば道路はぬかるんで大変でした。 工場移転を機会に社名を新しい工場(港)から製品がどんどん旅立つという思いを込めて新港精機製作所に変更しました。」と話されました。 今では多くの工場が立ち並び、また素晴らしい技術が生み出される商工業地域に変わっています。

難しい加工とプログラムは梅本部長が担当!

 現在三代目予定の梅本孝宏製造部長(31才)は「工場が遊び場。小学生の頃から、バリ取りも喜んでやりました。 小学校の高学年の時には、もう将来は後継ぎになるんだと決めました」と梅本製造部長。
工場経営を目指し武蔵工業大学付属中学、高校から日本大学生産工学部管理工学科で機械工学だけでなく、経営工学も身に付け7年前に入社。
プラモデル好きが、仕事好きへと変身したのが6年前。
マツウラのVirtual Gibbsを設備しプログラムから治具、加工まで全てを完遂させたことからで 「当初は先輩職人に囲まれ自信がなかったが、これで大きく変わりました。」と話されます。

 その後設備計画で製造部長は「初期投資額でなく、しっかりした機械を設備し、設備した後で利益が上る体制を作る。 マツウラの高速加工はその可能性がある」と社長を説得、マツウラ本社で実機見学。
「マツウラの超高速加工機FX-5の実加工を見て、あまりのすごさに驚嘆。自分の考えに確信を持ちました」。
2000年4月にMC-660V(主軸回転数15,000回転)を導入し、本格的に高速加工技術を始め、大手電機メーカーの通信機器関連部品に絶大な実績をつけました。
「難しい加工とプログラムは私が全て担当、好きな仕事ですから苦痛はありません。 全く自分自身の時間もないほどです」とも話されています。

更なる発展を目指し次の手を

 昨年中頃より業況が上向いた事もあり、更なる発展を目指して2004年1月、マツウラ2台目のMC-1000VGX(主軸回転数15,000回転)を導入。
「営業活動は殆ど息子が、自分は納品時に顔を出すぐらい。品質が一番です。 マツウラMCを2台設備したことを知って、客先から難しいもの、短納期ものを、是非と頼まれることが多くなりました。 こなすのは大変だが、信頼を勝ち得た証と思っています」と梅本社長。
「Virtual Gibbsを支援する生産支援システムのメンバー、機械故障時のすばやくサポートをするサービス員の対応など、全てマツウラには満足しています。 今まで立形MCしか設備してないので、マツウラの5軸加工機、また最新の横形機を設備し、新しい加工技術を習得したい。 そして他社には無い加工技術を持つオンリーワン企業へ変身するのが夢」と将来構想を、梅本部長は熱っぽく話されます。


主軸15,000回転のマツウラ製MC2台がフル稼働中



 「工場では何時も喧嘩が絶えません。でも、それを楽しんでいるのかも知れませんね」と語る梅本部長。
創業者の精神を脈々と伝え、後継の人材を育成されている二代目の梅本社長と三代目の梅本部長のお二人の姿を拝見し、 「日本の製造業、まだまだ技と力あり」と勇気づけられました。
二人の最新鋭機を前にした姿から「マツウラはこの方々の支えがあって存在意義がある」と、あらためて実感した取材でした。

(上村 誠)




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