マツウラの特級技能士5人組
(電子機器組立て・中垣明照 機械加工・山田陽一、山口正男、野村慎吾 仕上げ・田中清治)

社員の約半数が、いずれかの技能士に
社内の自己啓発奨励支援制度が後押し




特級技能士/福井本社勤務の皆さん前列右から山田陽一氏、山口正男氏
後列右から野村慎吾氏、田中清治氏


 「働く人々が持つ技能を一定の基準により検定し、国として証明する国家検定制度」と定義づけられている、 技能検定は、技能に対する社会一般の評価を高め、働く人々の技能と地位の向上を図ることを目的として、 昭和34(1959)年施行の職業能力開発促進法に基づいて実施されています。

 この技能検定制度は、いらい年々内容が充実され現在、137職種の多くにわたって実施。
技能検定の合格者は平成13年度(平成14年3月末)までに、全国で約250万人を超え、 確かな技能のあかしとして各事業場や各職場において高く評価されています。

 マツウラでも、昭和44(1969)年以降から技能検定制度への挑戦が自然発生的に、職場の有志で勉強する気運が盛り上がってきました。
ただ当時は検定制度そのものが、一般的に認知されておらず、手さぐりの状態の中での挑戦で始まりました。
そして30余年経った現在、マツウラでは、平成15年3月で特級技能士5名、1級技能士46名、2級技能士90名と全社員の約半数が合格し、 自己啓発による職場の活性化と技能向上に役立っています。

 また、自己啓発を促進するためマツウラでは、社内促進制度を見直して本格的に「技能検定の受検に奨励支援をさらに充実」させて、 全社的な盛り上がりの中で、取り組んでいます。

 「技能士の資格取得が真の目的でなく、その過程や受験の体験を自身の人間性や職場の仕事に生かすことが大事です。 そんな考えをつねに部下に話し指導しているんです」とは、 現在加工製造部を担当している山下登志雄部長(昨年6月まで製造部長、7月から加工製造部と組立製造部に分割され加工製造部長に就任した)。
「毎日の職場での仕事の中で、この制度を生かせるように背中をそっと押して、激励してやるんです。 そして技能士として先輩の声を彼らに生かし指導させているんです」と、話します。

 現在、技能検定は5つの等級に区分されています。
初級技能者が通常有すべき技能程度の3級、中級程度の2級、上級技能程度の1級と単一等級、 そして最上級で管理者または監督者が通常有すべき技能の程度である特級―。
合格者には特級、1級、単一等級は厚生労働大臣から、2級と3級は都道府県知事から、それぞれ技能検定合格証書が交付されます。
また技能検定合格者には、その他の国家試験の受験や資格取得に特典が認められるものがあるようです。

 マツウラの技能士として、最上級の特級合格者は5名。
最初の合格者が中垣明照氏で、平成10年3月「特級電子機器組立て技能士」に合格。
これに触発され発奮して仲間で勉強会を実施するなど努力して、2番目に特級合格したのが山田陽一氏、 平成14年3月に「特級機械加工技能士」。
さらに引き続いて平成15年3月、山口正男氏と野村慎吾氏の両名が「特級機械加工技能士」を、 田中清治氏が「特級仕上げ技能士」におのおの合格しました。

 そこで、「FOCUS人」では、この特級技能士5名にスポットをあて順次登場ねがいました。
最初は中垣明照氏です。


57才で特級電子機器組立て技能士に合格した中垣明照氏、「生涯が勉強ですよ―」

中垣明照氏特級技能士の金バッヂが胸襟に光る!

 昭和16(1941)年6月生まれの中垣明照氏は、29才の昭47(1972)年8月の途中入社組です。
大阪地区の電気に強いサービス業務の要員として採用され、6ヶ月の本社実習後の翌48年2月に大阪駐在のサービス員として、 大阪営業所に派遣されました。

 大阪着任後2ケ月あまりは、営業担当社員やサービス担当社員と同行して業務をこなしていたようですが、4月には一人でサービス業務に。
「当時は汎用フライス盤やプロコンフライス盤が客先で稼動していましたから、これらのアフターケアでした。 汎用フライス盤はベルト交換とか、ブレーキバンドの交換と比較的やさしいものでしたが、 プロコンフライス盤は電気制御による自動フライス盤でしたから、機械と電気との両方を見るためにいろいろ大変でした。 ただマツウラ入社前の電気にかわるキャリアを生かせたので、客先の要望や修理は、どうにかクリアできました」と、 サービス員一年生の30年前を思い出しながら話します。

 サービス業務に精励するかたわら中垣明照氏は、「やはり基礎から勉強しないと、いずれサービス業務でも行き詰まるのでは」との思いから、 夜間短期大学の大阪工業大学二部の電機工学科へ33才の昭和49(1974)年4月に入学。
「学生は殆どが背広姿の30才前後で、やはり努力家が多かったことも脱落しなかったひとつの要因ですね。 それと住居から40分程度歩けば学舎につくという便利さもありました。 でも私自身がやはり勉強しなければ、と思う向学心に燃えていたからでしょう」と、話します。
結果2年後の昭和51年(1976)年3月にはめでたく卒業。
といっても、出席日数は規定の2/3、取得単位はギリギリ。
やはり仕事と大学との両立は厳しかったが、反面、同じ立場で頑張っている連中といっしょに学び遊んだこともあって、 今思うと楽しかったことも多かった―、ようでした。

 技能士への検定制度にトライした動機について、中垣明照氏は「名古屋地区の大手自動車電装メーカーへアフターで出掛けた時のショックが、 技能士受験の動機でした。
同社の保全係は、技能検定1級合格が必修条件であるといわれた時です。
そこで、本社では奨励制度や仲間も沢山いましたが、大阪で一人暮らしの私が、独学でやらねばと覚悟しまして、 トライしました」と言葉少なに話します。

 その経過は電子機器組立て作業で、2級技能士に40才の昭和56(1981)年10月、同じく1級には翌年におのおの学科と実技とも一発で合格。
そして10年余りたった55才で特級に挑み、2回目の平成10(1998)年3月、合格証書を受領。
さらに今、電気機器組立て作業でも、すでに2級技能士(昭和60年10月)、1級技能士(平成6年10月)に合格証書を手中にし、 特級技能士には平成12年3月に学科だけ合格し、現在特級の実技合格にむけて奮闘中の由。

 中垣明照氏は、平成13(2001)年6月にマツウラの定年をむかえましたが、 キャリアを生かして定年後の現在も元気に大阪地区のサービス業務の第一線で活躍中です。
彼の特級合格や、仕事への熱意に発奮し、本社勤務の製造部門の中から「特級技能士」合格にむかって自己啓発運動が盛り上がり、 特級技能士が平成14年から引き続き合格者が出たのは、すでに述べたとおりです。
さらに中垣氏は平成8年に第3種電気主任技術者の国家試験も合格している努力家でかつ頑張り屋でもあります。

 「何事も基礎の勉強があれば、必ず役立ちます。
勉強の仕方や要領はお互いに教えあい、経験したことは教えるからと、彼らに何度も話しました。
やはり技術者として技能者としての誇りを持って、仕事に取り組めれば、それは自ずと責任ある仕事になります。
私の言葉に発奮してくれて、特級合格者が3人も4人も出ました。嬉しい限りです。
一生勉強ですよ、人間は。勉強は一生やるべき人間としての最高の自己啓発です。
勿論、健康な身体あってこそですが、バランス良く努力していきたいですね」

 大阪地区、いや西日本エリアのサービスの第一線で活躍中の中垣明照氏の評判は 「彼がサービスで頑張っているからね、安心してマツウラの製品が買えるよ」と購入された顧客先がいえば、 マツウラの営業員も「彼が大阪にいますからね、安心してマツウラの機械を使っていただけますと、 胸を張っていってるんです」と話します。

 「60才を超えてきますと、やはり自分自身の身体は自分で管理しないと。 1ヶ月に1回は定期健診をうけて、地道に前進したい。 そう言いながら、私もマツウラに勤めて早30年を超えました。」と中垣明照氏は話しています。

 
 


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