マツウラの特級技能士5人組(その2)
若手3人組の山田陽一・山口正男・野村慎吾
の各氏(特級機械加工技能士)
「働く人々が持つ技能を一定の基準により検定し、国として証明する国家検定制度」と定義の技能検定は、
技能に対する社会一般の評価を高め、働く人々の技能と地位向上を図ることを目的として、
昭和34年施行の職業能力開発促進法に基づいて実施されています。
マツウラでも、昭和44年以降から本制度への挑戦が自然発生的に、職場の有志で勉強する気運が出てきました。
そして30年余りたった平成15年3月で特級技能士5名、1級技能士46名、2級技能士90名と全社員の約半数が合格、
自己啓発による職場活性と技能向上に役立っています。
そこでMatsuura NEWS!では「FOCUS人」で、難関な「特級技能士」合格5人組を紹介することにしました。
前号は、中垣明照氏が57才で「特級電子機器組立て技能士」合格で登場。
本号では「特級機械加工技能士」の3人組、山田陽一氏、山口正男氏そして野村愼吾氏を紹介します。
特級技能士の金バッヂが胸襟に光る!
「努力は必ず報われる、さらに上級を」の声に発奮
加工製造部加工グループ・シニアチーフ/山田陽一氏
昭和36(1961)年10月生まれの山田陽一氏は、国立福井高等専門学校機械科を卒業し、その年ストレートにマツウラに入社。
自宅の家業が「小さいながらの鉄工所」だったこともあって「とにかく子供の頃から、機械いじりが大好き。
親父の仕事ぶりを背中を見ながら育ちました」というだけあって、
機械油の独特な臭いが子供の頃から身体に染み込んでいたようです。
入社と同時にマシニングセンタを中心とした機械加工の現場へ配属。
5年間あまりで機械加工の現場をひととおり、切削屑と油まみれになりながら実体験。
そして製造現場から離れたものの、加工全般の生産技術と段取りを担当する、製造部生産技術グループに3年戻って、また生産現場に。
そこでマツウラの主力切削加工設備として、立形小型マシニングセンタの構造物を加工する専用の、
通称ビッグマムの設計と製作に携わることに。
この専用機は、3日間72時間無人稼働を目的として作られた社内限定の5面加工機。
立形マシニングセンタ2台と横形マシニングセンタ2台を、スタッカークレーン1台と74枚のパレットで連接するという、大掛かりなもの。
「職場の先輩や同僚の協力で、ビッグマム製作担当の一員として何とか、足手まといにならずに出来ました。」と山田陽一氏。
生産現場、それも切削加工面、特にマシニングセンタを中心とした現場と、生産技術や生産工程、
生産管理の両面を交互に、携わったことが大きな財産になったようです。
「技能検定制度は社内の先輩や同僚が、普通の仕事の傍ら挑戦していましたし、当時の製造部長からも強く奨められまして努めました。
その甲斐あって、平成6年10月にあった後期試験で、機械加工部門のマシニングセンタ作業で実技・学科とも1級が合格できました」と話した山田氏はさらに
「1級合格が私にとって、良いはずみになったんですね。
知と技と両方が自分の実力になり技能になることが実感できました。
それ以上に部長からも“努力は必ず報われるから、出来れば上級をめざすよう”勧奨を繰り返しうけました。
1級の上級は特級ですが、1級合格から5年以上の実務経験期間が必修条件でしたから、
多少の気のゆるみもありました」と率直に認めています。
相前後して大阪営業所の中垣氏が、特級技能士受験に独学で‥‥という話を聞いたのも束の間
「平成10年3月に電子機器組立て作業で特級技能士合格、というビッグニュースが入ってきました。
57才で合格したなんて、大変な出来事ですよね。
私はまだ30才代、出来ないはずはないと、それから猛勉強です。
中垣さんからも“やれば出来る。
お互いに勉強し教えあって合格しよう”と声をかけてくれましてね。
でも特級になってくると今までの1級とは、別次元の世界でした。
一人でこつこつ勉強するには、やはり強くて逞しい意志がないとなかなか」と話します。
山田氏の受験は努力の甲斐あって、機械加工技能士の特級に平成13年後期受験でみごと合格、大願成就しました。
「特級は難しかった、が実感です。
挑戦したのが1級合格して5年の平成10年。
平成11年後期では実技試験だけ合格し、さらに2年後の13年後期で学科が合格。
都合、三度目で合格でした。
お陰で製造全般の管理・監督という経験したことのない分野まで勉強が出来ました。
特級はどちらかといえば、工場長のような工場経営までの分野も含まれますから、
良い経験で私のこれからの仕事に生かせると思います」と目を輝かす山田氏。
その山田陽一氏は現在、加工製造部加工グループシニアチーフとして、
また公的業務は平成14年4月から機械加工(作業はNC旋盤・マシニングセンタを中心とした)全般の技能検定委員として、
福井県職業能力開発協会から委嘱をうけ、八面六臂の活躍をされています。
「特級機械加工技術士」若手3人組でモノ作りに挑む
「現場でモノ作りと生産技術の経験が私の財産です」
生産管理部資材グループ・生産主任/山口正男氏
「国家検定の特級技能士合格は、私にとって一つの財産であり勲章かも知れません。
でも技能士合格にむかって、やってきた経験と努力が大事だったと思います。
受かる受からぬより、自分にとって何かがプラスになる。
特に仕事以外のことで、多くの勉強が出来ました。
いろんなことを知っていることは大事ですし、決して損なことはない」といい切るのは、
平成14年後期の特級技能士(機械加工)に合格した、山口正男氏です。
地元の県立春江工業高等学校機械科を卒業した昭和53年3月、マツウラへ入社した山口正男氏は、
地元の農家の次男として昭和34年5月生れ。
入社いらい13年あまりの平成4年まで、製造部の機械加工現場で切粉と油と挌闘しながら技能を磨いて、
製造部生産技術グループで工程や生産技術などの部門を3年。
そして平成7年に生産管理部資材グループに異動し、現在同部資材グループ主任として、
部材の仕入や外注先との接渉などに精力的に活躍しています。
入社から13年あまりの製造部は機械加工は、小型・大型の平面研削盤から中型・大型そして門形のマシニングセンタ、
さらに小物旋盤加工と機械加工部門の約6割以上の作業経験をもつ技能者。
その技能を生かして生産技術部門で製造現場の裏方・黒子を3年体験して、生産管理部資材グループで、
実際に機械加工を経験し技能をもっているだけに、部材の購入や外注先との接渉には、威力を発揮するのが、
山口氏の大きな強味でしょう。
技能検定1級合格が平成6年前期試験。
この時も加工経験が物を言ったのでしょうが、加工現場の約2/3近くの多分野の経験と技能が、多いに味方してくれたのでしょう。
平成7年4月には福井県職業能力開発協会から技能検定委員の委嘱を受けたのも、その豊富な経験と技能が認められたからでしょうか。
「1級技能士だけですのに、とまどいもありました。
特級技能士への挑戦は、そんなとまどいを吹っ切る、ひとつの動機だったことは間違いありません」とは山口氏の言葉です。
1級合格後5年の実務経験が必修条件の特級受験は、そんな動機のほかに、中垣明照氏の独学での特級挑戦と合格、
そして会社の同僚でもあった、山田陽一氏との相互協力による頑張りが、大きな要素になったのでしょう。
平成12年後期に実務が、平成14年後期に学科が合格し、みごと特級技能士、山口正男氏の誕生です。
「機械加工部門の特級技能士として、栄ある国家資格を取得できました。
しかし特級の試験は難しいですね。
試験の守備範囲や内容が、機械加工の実技や技能は、もう一級で終了しているから、
その上の異次元のものへの挑戦に応えねば、ならないんです。
工場管理全般を要求されますからね、正に工場長になるための入門編ともいえるものでしょうか。
私の場合は、実際の仕事がモノ作りの現場経験が入社歴25年余りの2/3以上。
それも機械加工でも2/3程度の仕事を携わりました。
その上、生産技術を3年と資材を7年強と、この経験が大きいですね。
8年前に生産技術グループから生産管理部資材グループへ異動したときも、
現場の経験が部材仕入先や協力工場の皆さんとの対話が、実に円滑に出来ました。
これらの経験は正に私の財産です。
特級技能士とこの財産をいかして、さらにさらに向上するよう自己研鑽をつづけるつもりです。
生涯が勉強です、といわれた大先輩の中垣さんの言葉通りですね。
まだまだ精進努力しなければ……」ときっぱり話される山口氏でした。
「特級技能士合格からが、本当の勉強です」
加工製造部加工グループ・チーフ/野村愼吾氏
「特級機械加工技能士を一発で合格」したのが、加工製造部で活躍中の中堅社員、野村愼悟氏。
職場では口数少なく目立たない存在だけに、特級技能士の一発合格は、大きな衝撃となってマツウラ製造部門全体を驚かせました。
「合格するまでは記憶することだけ。
先輩方に、いろんなことを教えてもらったことが、私にとって一番の勉強でした」と言葉少なに話す野村氏ですが、
内に秘められているパワーは想像も出来ない大きなものがあるのでしょうか。
昭和41(1966)年12月生まれの野村愼悟氏は、昭和60(1985)年4月に県立科学技術高等学校金属工学科卒業と同時にマツウラへ入社。
いらい小物関係の汎用旋盤・NC旋盤から大物部品加工への立旋盤、そして大物加工のマシニングセンタと一貫して、
製造部から加工製造部で機械切削加工の全分野を実体験している、ベテラン技能者。
技能検定試験では、2級ではNC旋盤とマシニングセンタの機械加工を難なくクリア。
1級ではNCフライス加工で合格し、平成14年後期の特級機械加工技能士試験で実技・学科とも同時、一発で合格の野村氏。
野村氏は一言ずつ考えながら、特級技能士の受験前のことを話します。
「山田陽一さんが平成13年に合格された。
その前には大阪の中垣さんが57才という高年令で合格された。
私も負けてはいられないと思いました。
先輩方から、受験するなら応援すると励まされもしましたし、いろいろ教えてもらいました。
でも問題集をもとに開いたものの、聞いたこともない用語ばかり。
生産管理や工程管理など私が全く実務経験がなかったこともあって、戸惑いの連続でした。
職場でも先輩や部長からも励まされましたし、便宜も図ってくれました。
受験前の2・3ヶ月は会社で仕事をすませて、座学により18時から20時まで連日―。
自宅でも受験2〜3週間前は相当やりました。
受験の前々日からは、徹夜の連続。
後悔をしないよう、全精力でぶつかりました。
でも苦しいとか眠いとか、疲れたとかは思わなかったですね。」
そんな集中勉強の結果、みごとに合格した野村氏は「試験前は合格するための記憶に全身集中だけでした。
そして合格した今、実際にこの技能と経験を生かすための勉強が必要だと、つくづく思っています。
特に管理部門の経験がないだけに、自分自身を奮い立たせる勉強をしなければと思っているんです。
そして後輩への指導も言葉だけでなく、具体的な指示や指導で奥行きが出てきたと実感していますが、
更に磨きをかけていきたいです。
私を含めて、これからは、とにかく理屈抜きで挑戦していってほしい」との言葉は、
実績に裏付けられた価千金以上のものでした。
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