こんなユーザー No.97
仕事により好みは一切しない
得意分野は非鉄金属系材料の精密機械加工に徹する
―株式会社 神長製作所―


会社概要
商号株式会社 神長(かみなが)製作所
創業1952(昭和27)年6月(設立は1954年)
所在地東京都板橋区
代表者代表取締役社長 神長洋一(かみながよういち)
資本金1,000万円
従業員5名
事業内容中・小物の精密機械部品等製造業

神長洋一 社長 職住一体が同社の強味



 「創業者である私の親父が、60才で社長をやめても、毎日のように工場ではウロウロしていました。 80才ぐらい迄は、目を光らせていましたね。 油の匂いと工場が、親父の生きがいでした―」と話されたのが、10月下旬に東京は板橋に、 お訪ねした株式会社神長製作所の神長洋一社長です。

 神長社長は大学の経済を専攻。
親父の仕事とは、畑違いのツアーコンダクターを仕事にしたかった由。
創業者の神長丈夫氏から「俺の仕事を継げ」といわれた時は「運命と思って諦めた」のが、大学卒後の22才。
それから大学で学んだこととは畑が違う、機械屋稼業で荷物運びから始まりました。


創業まもなく朝鮮動乱勃発で、機械加工技能の基礎を固めた

 同社は神長社長の実父、神長丈夫氏が40才で昭和27(1952)年、板橋で創業。
この界隈は戦前からモノ作りの工場が密集しており、創業地は近くに軍靴工場があったことから、 戦後の電力不足時代でも動力源がある、という地の利が大きな要因だったようです。

 もともと戦前から工場勤務経験が長かった神長丈夫氏は、海軍指定の航空機部品工場で生産部門に携わっておられ、 戦火の激しくなった昭和18(1943)年、愛知県は一の宮市へ600余名の従業員と共に工場長として疎開。
戦後は故郷で農機具や機械部品の製造をやったり、名古屋で紡績機械部品の製造をしたり、 20年余りの機械関係に携わってきた技能を温存。
このキャリアを活かすべく、個人企業として創業されたのが昭和27年。
石川島造船所の特殊鋼による、タービン用羽根の部品加工を手始めに、持ち込まれたあらゆる仕事に、 とことん精神を集中して仕上げてきたようです。

 「ちょうど、創業まもなく朝鮮動乱が勃発。機械産業を含む全産業が大きく上昇し始めました。 それらをテコに神長も、創業3年目の昭和29(1954)年12月、会社組織に変更して基礎を固めました。 特殊鋼の機械加工の中でも、神長はセーパー加工を得意にしてきました。 昭和30〜34、5年頃には、25〜26台設備したセーパーを1人で3〜4台を操作するなど、昼夜兼行でこなしていました。 そんな様子を、子供心に見ていたんでしょうね。 機械屋でなく、経済を専攻してツアーコンダクターという、新しい仕事に夢を持ったのでしょう―」と、 神長社長が述懐されます。


精密光学機器用加工部品の一部

セーパー加工からフライス加工へ大転換!

 神長洋一社長が創業者の神長丈夫氏から、30才で社長業を引き継いだのが昭和47(1972)年。
「当社の得意としたセーパー加工から、時代の流れを私は感覚として読み取ったのでしょう。 フライス加工に大転換してきました。 人手不足や工場狭隘などもありますが、モノ作りのメッカ・板橋界隈での動きを見て、セーパー加工に疑問を持ち出したんです。 特に中小零細企業が密集している地区で、精密な光学製品や自転車用の部品などが、 どんどん変化していたことで、肌で危機を感じたからです。」と、事業転換の経緯を話します。

 いらい板橋地区の地の利を活かして、光学精密機器関係や、自動車のオートマチック用接点、 通信機器用の中継器など、主に非鉄金属系材料の特殊なフライス加工を重点にして、今日に至っています。
「めがねフレームのツルなどにも使われる部材でも、チタン材に金やプラチナなど特殊な合金材を、 特殊な方法で加工して新しい素材として活かせたり、他社とは違いのある仕事も引き受けています。 ですから、そんな意味から神長に来る仕事は何でも、お構いなくやっています。 加工材料に好みは一切しません」と、きっぱり。


今でも元気。20年前のMC-500V型

20年前は全く知らないマツウラの機械
今ではマツウラの機械に惚れ抜いて―


 そんな同社のフライス加工を中心とした、機械加工の仕事にマツウラのマシニングセンタは、 うまくフィットしフルに稼動しています。
マツウラ製品を最初に設備したのが、20年余り前でMC-500V型。
プラチナ関係のマシニング加工用として設備。
いろいろな仕事をやって、3年目で完全マスターし、フル稼動に。
2台目は9年あとにMC-600H横軸マシニングセンタ。
サラバネやクラッチ類の加工用に購入。
今では時代の流れと共に、通信機器や天体望遠鏡、製本機械や丁合機などの精密部品加工へと、 同社の時代にマッチしたモノ作りに合わせた仕事で、フルに活躍中です。

 マツウラ製機械との出会いは「サラバネやクラッチ類の加工を発注されている会社から、紹介されました。 それまでマツウラなんて知らなかったですよ。 マツウラのマシニングセンタという、新しい設備をして自信が持てるまでに、相当な時間と費用をかけました。 1号機など足かけ3年ですからね。 しっかりマスターしてから、次の設備をしてきましたが、変化のはやい今の時代への移り変わりで、 設備のピッチも早く考えねばならないと思います。 でも1号機など20年も使っているのに、加工精度や機械性能などビクともしないんですよ、マツウラの機械は。 良過ぎるんですね。 設備するとき、正直いってアッチコッチ探すんですが、いろいろな機械メーカーがある中で、 最後はマツウラをやはり選んでしまう。 それが結果的に良いと思っているんです。 マツウラに惚れ込んだんですかね」とは、神長社長の最後の言葉でした。

 中小企業の持ち味でもある「仕事により好みはしない」という、神長製作所の得意技に、 職住一体型の強みが日本のモノ作りに、如何なく発揮されている。
そんなモノ作りの現場を、肌でじっくり感じた、東京は板橋界隈のユーザー訪問でした。


マツウラの多面型パレット機の横形マシニングセンタ


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