こんなユーザー No.95
アルミ・チタン・コバール・マグネシウム材および特殊樹脂材で
自動車・情報通信の関連部品の加工組立
(3.5年前にマシニング加工へ転身!)
―平和機械株式会社―


会社概要
商号平和機械株式会社
創業1950(昭和25)年10月(1987年設立)
所在地広島県広島市安芸区
代表者代表取締役社長 有田靖彦氏
資本金1,000万円
従業員75名
事業内容●アルミ・チタン・コバール・マグネシウム材や特殊樹脂材による自動車関連部品・情報通信関連部品の加工・組立
●金型・治工具の設計・加工・組立
●精密産業機械部品の加工・組立

有田靖彦社長 精密マシニングの中核ビジネスになる特殊樹脂の精密微細加工



 3.5年前に平和機械は、板金プレス加工から精密機械加工へ転身しました―と、 のっけから話されるのが、平和機械株式会社の有田靖彦社長(昭和19年生まれの57才)です。
ギリギリ戦前生まれで、広島の原爆にあい、戦後の厳しい生活を体験し、 これが会社経営や生活面でも自分を律しているようです。

 有田社長は「これからは中途半端は駄目。徹底して、誰でも出来るローテクか、 誰も出来ない最先端のハイテクなのか。 今のスピード時代に、即断即決するのが、会社のトップの役目と思っています。 私が3.5年前に、プレス加工を全て外注に出し、精密な機械加工に特化したのも、 この考え方からでした」と説明されます。


国道2号線沿いにあるステンレス製の同社看板


<世界の平和を願って、社名を決めた平和機械の経営哲学――>

 同社の創業は、戦後の1950(昭和25)年10月で、有田社長の実父、有田靖正氏。
小柄で旋盤加工を得意とし器用で、広島市内の機械工場で腕を磨き、30才で脱サラして開業。
創業から商号を「平和機械工作所」に。
創業からの経緯を、有田社長は次のように話されます。

 「規模にそぐわない、平和機械の商号は創業の原点です。 親父は世界平和を願い、その思いを商号にしたのでしょう。 これが先代が残した教訓だと思っています。 昭和62(1987)年5月、株式会社に組織替えしたときも、その哲学を、そのままいかしました。 私も空襲の体験から、戦後の厳しい生活をしていますから、この体験をもとにして経営してきました」。

 「創業時代は、仕事なら何でもいとわずやってきました。 頼まれごとは何でもです。だから機械工作所にしたのでしょう。 途中から熱効果のある樹脂の金型を始めましたが、そんな時に簡単な機械を設備しました。 勿論、使い易いように工夫改造したことは、器用な親父の得意技だったのでしょう。 そして頼まれ仕事の中から、いろいろ自動機の設計から製作まで、本当に器用にやってました。 親父はいつも、機械を作るのも使うのも同じだって、言ってました。 やはり、そこには智恵と工夫がなければ、本物にはならないと。 こんな教えは、私の生きざまになっています」。

<約1億円超かけて、プレス加工から精密マシニング加工へ、転身した!>

 3.5年前にプレス加工から、精密機械加工に転身した同社は 「約1億円超の資金をかけました。 機械は勿論、工場建物を含めて機械工場は、全て空調も完備して、やるからには中途半端では駄目ですからね。 ですが人間が介在する手作業部門や事務部門は、なるべく自然にまかせています。 暑い時には汗をだし、寒い時には寒さを肌で感じる。 そんな感性を大事にしています」と言います。

 さらに有田社長は、コストダウンは生産の絶対量を確保するための、過当競争だと思っていたが、 原点はグローバルな戦いであると実感したことから、今年の年頭で
「今年は結果が出なければ、駄目。 だから、やらずに死すよりも、とことんやり抜いて、万一、失敗してもやむなし。 逆戻りは出来ない、後は技術力で競争するのみ。 今年は精密機械加工に転身して、3.5年。 この転身は7年で達成する計画だった。丁度、折返し。 あと3.5年で結論と結果が出てくる。 座して時間を待つより、改めて変革させるのが、社長の仕事だから―」
と、全社員に檄を飛ばした一幕もありました。

 そんな自信ある言葉には、同社の事業内容にありましょう。
自動車関連部品では、トヨタ以外の全メーカーへ納入の、 サンルーフ(自動車の天井を開閉させる部分)の加工組立や、アルミホイールの部品加工を、 そして情報通信関連部品では、半導体や携帯電話、液晶画面や光通信、 プロジェクターなどの部品加工と組立。
その材質はアルミやチタン、コバール、マグネシウムなど多岐な守備をもっています。
また創業まもなく始め金型や治工具、そして特殊プレス加工も手広くやり、 産業機械部品の加工も個別対応されるなど、きめ細かに展開中だからです。

< MCは高速度・高精度のマツウラで平和機械の中核ビジネスへ展開!>

 同社が思い切って、精密マシニング加工へ転身されたのは、10年前に入社され現在、 実質的に製造部長を兼務の児玉鉄矢NC課長を中心とした、新しいメンバーです。
機械加工を本格的に始めたのは、新設したMC(マシニングセンタ)を中心に始めてからで、 水を得た魚のように活躍した児玉課長が「精度とスピードで問題あり」として、 検討の結果マツウラMCによる、高速度と高精度を両立させるノウハウで、 同社の得意技に仕立て上げたようです。

 そして、主軸回転が3万回転のFX-1G型、1年後に同じく2万回転のMC-800VG型を新設し、 同社のキービジネスの目途が―。

 「コピモールやスミカスーパなどの、特殊樹脂の細密な穴明け加工です。 70mm角の樹脂に直径0.2mmの穴を3,200〜5,000個明ける仕事や、 25mm角や7mm角に直径0.15mm穴を明けるなどです。 刃物は極細の直径が0.15mmや0.2mmですからね。 これはマツウラのMCしか出来ないんです。 このような極細や微細加工を、当社のマシニングビジネスの中核にしたい。 これが社長の私の決断です」。

 さらに有田社長は「他社メーカーMCの仕事は、勿論マツウラで加工できる。 でもマツウラMCでやった仕事は、マツウラMCでなければ出来ない、 ということが当社で実証され良くわかりました。 マツウラMCの素晴らしさ、凄さに惚れ直しました」と―。






 同社の社員数は、ピーク時100名余り。
そして板金プレス加工を外注し、機械加工に特化し、バランスのとれた企業規模を目指し、今は75名。
企業規模について、有田社長は独特の哲学を持っています。
それは、社員数を49人以下の小ぢんまりした企業への再生です。

 「49人は、トップ一人で社員全員の性格や家族構成、生活や健康状態など、 全てを把握して心身共に理解したいからです。 だって人生の2/3以上の時間は、会社で苦楽を共にしているんですよ。 会社と社員との信頼や愛情そして人間関係を究極まで高めたい。 それこそ私一人の能力では最大50人までです。 平べったい付き合いより、人と人が肌で、そしてイキに感じる人間関係こそ、 会社が発展し幸福な人生が送れる原動力です。 私が求めているのが、これです」と、有田社長の言葉でした。

 こんなところにも、同社の平和への願いと教えが、脈々と流れていることに、 大きな感嘆を得た広島の訪問でした。


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