Matsuura's PUBLICITY


「中小公庫マンスリー」2002年1月号より転載
中小企業金融公庫総務部広報室 編集 株式会社経営ソフトリサーチ 発行


 政府系中小企業向けの専門金融機関で、長期かつ安定した資金を提供している、 中小企業金融公庫(略称:中小公庫)は、昭和28(1953)年に創設され、 私達のような中堅・中小企業にとって、大変頼りになる金融機関のひとつとして、活躍中です。

 この中小公庫総務部広報室が編集している月刊誌「中小公庫マンスリー」は、 中小企業の経営や金融、経済や産業など広範な現状分析と将来の展望を中心として、 わかりやすく解説しており、さらに中小公庫における中小中堅企業への専門金融機関としての広報活動を行っています。

 たまたま、「中小公庫マンスリー」2002年1月号同誌「経営雑感」欄で、 「グローバル化の中の中小企業」をテーマとして、投稿した一文が掲載されました。
マツウラの経営理念を創業時代にさかのぼって、いま直面している課題を考えてみた一文です。
今回、中小公庫のご好意により転載しました。


経営雑感

株式会社松浦機械製作所
専務取締役渡辺 清一
会社概要
本   社福井県福井市漆原町1-1
創   業昭和10年
事業内容金属加工機械(マシニングセンタ)製造業
ホームページhttp://www.matsuura.co.jp/

グローバル化の中の中小企業

人のやらないことをやる

 松浦機械製作所は1935年、繊維産地の福井で、現社長松浦正則の父、 松浦敏男(1991年没)が20歳で創業しました。
この福井の経済土俵は、繊維が主だったことから、松浦敏男は大きな反発心を持っていたようです。
当時、福井では「おわんさん」と呼ばれる資産家、その多くは繊維関係の企業経営者で、 こうした人達が福井の経済を動かしていました。
まして繊維王国で、松浦敏男が携わっていた仕事が鉄工所の職人でしたから、その反発心は人一倍。
鉄工所は「かんじゃ(鍛冶屋の訛ったもの)」と呼ばれ、 仕事といえば機業場の補修や繊維機械部品の賃加工程度で、それこそ繊維業者の下請け的な存在。
それに油と鋳物屑でドロドロに汚れて働いていたため「かんじゃの黒ん坊」と揶揄されもしました。

 こんな状況で、鉄工所という仕事の中でも松浦は、繊維以外の仕事に絞り、 福井県で初めて「旋盤という工作機械」の製造を創業しました。
松浦の「人のやらないことをやる」という思いは、持ち前の負けん気から生まれ、 現在の松浦機械の企業理念となって、今でも脈々と生き続けています。

 中小企業が生き残る道は、まさに「人が作ったことのない物」を「人が作ったことのない方法で作る」ことである、とよく言われます。
この至極簡単なことが、今の日本の製造業を含めた多くの企業に当てはまる言葉だと思います。
松浦機械の創業者が、65余年も前に思い、そして行動した「人のやらないことをやる」に、一脈あい通じているようです。

大冒険のPCフライス盤の開発

 さて、松浦機械が1960〜1961年に開発したプラグイン方式の、プログラム制御方式全自動フライス盤 (PCフライス盤)は、まさに「人のやらないことをやった」一つでした。
この耳慣れないフライス盤の開発は、汎用フライス盤メーカーとして評価を高めつつあった松浦機械が、 敢えて将来の機械産業の市場を見込んで、自社独自の技術で開発したものです。
年商4000〜5000万円程度の企業が、PCフライス盤の開発に9500万円もの大金を注ぎ込む「大冒険」。
新しいPCフライス盤によって、熟練作業者しかできなかったフライス加工が、 素人や女性の作業者にも可能になり、それも5〜10倍以上の生産性が上がる画期的な開発。
この新しいPCフライス盤が、当時の精密機器の代名詞であった、高級カメラをはじめとした輸出産業の生産設備として、 大いに役立ちました。
前後、左右、上下の三方向に、それぞれ0.02ミリメートル以内という精密な停止を見事に実現したPCフライス盤は、 まだ揺籃期であった数値制御(NC)方式を手掛けていた、日本の大手通信機メーカーや大手工作機械メーカーが驚愕し、 技術開発企業として、業界で注目され始めました。

マシニングセンタの開発

 さらに、「特徴のあるもの、誰もがやれないもの、そして世界に通用するもの」をテーマにして、 1974〜75年「フライス盤から立形マシニングセンタ(MC)へ」の大転換も、 松浦機械が企業の存続を賭けたものでした。
フライス盤をはじめボール盤やボーリング盤、タッピング盤など多くの加工機能を、 一つの工作機械に盛り込んだ多機能切削加工型工作機械、いわゆるマシニングセンタの開発。
従来とは一味違う、松浦機械の立軸形MC(立形MC)は、PCフライス盤の開発以上に大きなインパクトとなって、 工作機械業界を驚かせました。
そして、立形MCの機能を、1978〜80年、主軸回転数毎分24000〜35000回転 (当時は2000〜4000回転のものが一般的でした)に向上させた「超高速切削加工型MC」は、 金型製作や機械業界の行程革新や生産革新に向けて、大きく前進しました。

情熱と探究心こそ、起業家の姿

 松浦機械が技術開発企業として、PCフライス盤の開発を目標にして動き出した1960年代は、 日本の経済復興が軌道に乗り、池田内閣が所得倍増計画を推進している時でした。
また、立形MCを開発した1975年代は、米国ニクソン大統領が発したドルショックとオイルショックの後遺症で、 日本をはじめ世界の産業と経済が疲弊している最中でした。
この時期に「人のやらないこと」を、細心の注意と大胆な決断により実行した「大冒険」に、 それこそ全社をあげ、寝食を忘れて、企業の生命を賭けました。
私達が過去にやってきた「大冒険」こそ、今風に言うベンチャービジネスそのものでした。

 今、アメリカでは、ベンチャー企業におけるビジネスプランと、リーダーを評価するのに「24×7」のルールがあるそうです。
1日24時間、1週7日間、寝食を忘れ燃えるような情熱で、新しいビジネスに取り組むか、 取り組んでいるかを冷静に評価するルール。
土日はゆっくり休み、仕事より家庭を大事に、ペイはより多く…という今風の若者層、 いや日本人を見ますと、これからの日本で新しい起業や新しい物作り業が生まれ育つのか、 ある種の苛立ちすら感じます。

 かって、私達はがむしゃらなパワーで何としてでも遣り抜くんだという情熱と探究心の中から、 新しいビジネスや商品を生み出してきました。
これからのグローバル時代に日本が世界に勝ち抜いていくには、もう一度原点に立ち返って、 「世界にない物を作る」か、「世界にない作り方で作る」かが、私達に課せられた大きなテーマであると思います。


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