こんなユーザー No.94
ニードル用外輪、リニアガイド直動部品など・・・
多品種少量の精密部品加工の東精機
- ハイスのドリルも創業時は手作り -
―東精機株式会社―


会社概要
商号[あずま]精機株式会社
創業昭和34(1959)年10月(1990年5月株式会社に変更)
所在地群馬県多野郡
代表者代表取締役社長 茂木[もぎ]勝氏
従業員35名
資本金1,000万円
事業内容各種精密部品の製造・加工

茂木 勝社長 同社主要部品の「ニードルベアリング用外輪」



 群馬県は西部の西上州は、四季を彩る豊かな大自然を堪能できる、ロマン溢れる所です。
この大地のめぐみを受けて、東[あずま]精機株式会社(社長:茂木勝氏)が個人創業されたのは、 茂木社長の父の茂木忠治氏です。
創業の茂木忠治氏は、旋盤加工で20年のキャリアを持っており、 独立開業されたのが今から40余年前の昭和34(1959)年10月。

 初仕事が「紡機関係の糸紡ぎ押え込みローラ」の加工。
西上州の中心地の富岡市や藤岡市、安中市、甘楽町や吉井町周辺では、 当時から機械加工業は珍しく、操業時の吉井町では2〜3社程度でした。



同社本社事務所

<創業当時の夜学と現場の掛け持ちが、当社の原点>

 創業とほぼ同時に、創業者の茂木忠治氏の長男で現社長の茂木勝氏は、 定時制高校へ通学の傍ら、創業時の苦労を創業者と共にされました。
茂木社長は、その苦労を次のように淡々と話されます。

 「父の旋盤加工という腕があったこと、そして客先との人的経験的なつながりがあったことが、 創業時の苦労といっても今より楽でした。 中学を卒業した15〜16才の頃ですからね。 でも、昼は工場で親父の仕事を盗んで覚え、夜は定時制高校へ通いましたから、 何しろ眠かったことが苦労だったんでしょうか」。

 同社が創業された昭和30年代までは、吉井町や富岡市近郊は、 子供の学校教材用や製図用のコンパスの産地として、精密機器の生産で少しは有名な所でした。
でも、当時の生産形態は殆ど手仕事のためか、今ではその技術を活かせず、全く残っていないようです。

 茂木社長は、さらに創業時の昭和35〜40年代を、次のように話されます。
「当時はドリルなどは、手作りでした。 超硬の刃物なんて高価で、私達にはとても買えませんよ。 1日働いてやっと1000円。 ドリル1本が200円以上もしましたから。 ハイスの丸棒を買ってきてドリル作りです。 それも、親父のアイデアとノウハウ、苦労して叩き上げた確かな腕を、見よう見真似で手作り。 それでも、結構使えました。 そんな苦労が、今の会社経営や仕事に生きていないと言えば、それは嘘になりますね」。


全自動旋盤(単能機)N40S型の加工ライン

<ベアリング外輪、介護用リフト、医療用機器、自動車関係などの加工分野などが今――>

 同社は、昭和47(1972)年6月に個人営業から、法人形態の有限会社に組織を変更、 さらに平成2(1990)年5月に株式会社に再び変更し、現在に至っています。

 そして今では、精密軸受用ニードルベアリング用外輪の加工を中心にして、 リニアガイドの直動部品の精密加工を手掛ける一方、最近では介護用リフトの部品、 自動車のハンドルや足回り用部品、医療機器用部品などにも取り組まれています。

 これらニードルベアリング用外輪の加工などは、同社独自のノウハウや技術によって設備を工夫改良して、 例えば全自動単能旋盤を5台連結、組み合わせするシステムで、高生産性と高品質を維持しています。
さらに、旋盤加工を主力としてきた同社は、7〜8年前から最新鋭のマシニングセンタを積極的に導入、 フライス加工を含むマシニングセンタ加工にも加工領域を広げ始め、大きく業務範囲を拡大しています。


マツウラ製マシニングセンタES-450HUPC5型

<最初から一つ一つの積み重ねが、今生きている>

 「昨年から今年にかけて、IT業界に絡んだ加工分野が大きく落ち込んでいますから、今は確かに大変な時です。 せっかくのマシニングセンタも、フル稼動とは決していえません。 40〜50%程度の稼動でしょうか。 しかし、ニードルベアリング用外輪という、精密な部品加工を当社の主力業務にしてきましたから、 今では精密機械部品の加工なら他社以上の品質とコスト、納期が可能になりました。 当社のように中小企業は、どんな仕事でも“完全にこなす”ことが、その存在価値であると思っています。 今では、1ヵ月300〜400種類の加工部品を、1ロット多いものは100,000個以上、 最低でも5個、という注文まで引き受けています。 これも、みんな最初からの一つ一つの積み重ねがあって、今の東精機の技術や生産があるのだと思います。 パソコンやネットなどでは決してできない、地に足の着いた仕事は、まだまだあります。 そんな仕事こそ、操業時からの積み重ねたノウハウとウデが物を言います」と、話される茂木勝社長。

 同社の創業から共に歩んでこられた茂木社長には、40年余りの地道で豊富な経験とノウハウに裏打ちされた 「確かなウデ」が自信となって、同社長の言葉の端々に現れているようでした。

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