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写真・光学機器の精密部品加工技術が IT産業・光産業などレーザ用光学機器へ
物作りに技能と五感/センスをフルに活かす

―有限会社 永信光機―


会社概要
商号有限会社 永信光機
創業1964(昭和39)年4月(1971年設立)
所在地埼玉県和光市
代表者代表取締役社長 花見 清氏
従業員10名(パートを含む)
資本金300万円
事業内容レーザ用光学機器ならびに同関連部品の製造


 「板橋界隈は大手の写真や光機メーカーを中心として、写真光機関係など精密機器関連の部品加工業で、いつも賑わってきました。 そんな特異な地域が、板橋界隈です。 そこの取引先の1社が倒産し、大きな不良債権を抱えてしまいました。今から15年余り前の話ですが。」
と、一口一口噛み締めながら話されたのが、有限会社永信光機の花見清社長(59歳)です。

 板橋区の川越街道ぞいにあった、カメラなどの精密部品加工工場で、アルミ材を主とした旋盤加工の技能を身につけ、 一念発起され「花見光機」を創業されたのが、23歳の1964(昭和39)年でした。
そんな花見社長の技能と腕は、板橋界隈のなかから、丸い物の精密機械加工、いわゆる丸物加工の、タタキあげの下地から生まれたのでしょう。

 小型旋盤1台と卓上ボール盤2台、そして花見社長1人で創業の同社。
「当時は何か削れば金になる時代でした。仕事は当然のことながら、写真や光学機器関係のフードやフィルタ、レンズの鏡筒などの旋盤加工で、 面白いほど仕事もあり稼いだものです。」
と、懐かしまれます。
花見清社長 花見秀樹さん 永信光機が加工・組立したユニットや部品類
花見清社長 花見秀樹さん 永信光機が加工・組立したユニットや部品類

削って金になる創業から、不良債権でピンチになった、心の隙間

 得意先もかたまり、仕事も順調に入りだしたので、4坪足らずの創業時代から6坪強の自前の工場に、 さらに1973(昭和48)年、現工場の和光市へ。
建築会社の寮に使われていた建物を改造、1階を工場に2階を住居にして、本格的な工場へ。
その間に、個人営業から有限会社永信光機に変更。写真機器や部分品卸商の浅沼商会を中心とした得意先から、 富士写真光機や佐野光機など、直接メーカーとの取引も増やすなど、大きく事業を展開しました。

 「そんなホッとした時だったんですね。永年取引のあった、板橋界隈の大口得意先が倒産。当時多額の貸倒れは息の根が止まるほど、大きな衝撃でした。」
しかし、この大きなダメージをバネにして1985(昭和60)年、丸物加工から角物加工へ、 大きく永信光機が『舵』を切換えることになりました。
花見社長は、ゆっくりとした口調で話されます。
「私が創業した頃は、カメラは日本の花形輸出商品でした。しかし1980年代に入ると、これらは過当競争が激化。このまま丸物加工を続けていけば良いか、どうかの決断の時でした。 そんな心の隙間に、得意先の不渡り事故が発生。無我夢中とは正に、あの時のことだったのでしょう。 でもこの事故で、丸物から、将来を見越した角物加工へ、思い切って変更出来ました。」


旋盤の丸物加工から、フライス盤の角物加工へ、大転換

花見社長  丸物から角物への変更は、花見社長の「物作り」への情熱で、思いのほか早く軌道に乗りました。
「常にアイデアを出しながら、技能と五感、センスを最大限に活かして、お客様に違和感のない良いものを、 いかに納めるか」に注力していた、これまでの花見社長の実績と信頼が、丸物から角物への変更にも、 大手メーカーの取引につながったのでしょうか。

 事故のあと、レーザー光学機器の最大手メーカー、シグマ光機から「角物をやるのなら一度、やってみないか」との声が、 大きな機会となり、方向を転換。
加工面のきれいさには定評のある同社の加工技術が、ここへきて遺憾なく発揮されました。

 花見社長の加工技術への思い入れは、例えば角物加工用の刃物にも、活かされています。
「光学用旋盤加工用のバイトを、フライス加工用の刃物に流用するなど、刃物は永信光機のいわば手作り。 切れ味が良くなり、引き目も良く、加工面の仕上がりにも、気配りしています。」
という憎い心遣いが、光り輝いています。


価格と納期で設備したのが、私の最大の失敗でした――

 丸物から角物へ変更し、同時に汎用フライス盤による精密フライス加工を、コア技術としてユニットの製造を、 一手に引受け始めた1990年代に、マツウラのマシニングセンタMC-600Vを導入し、新鋭設備による合理化に着手。
シグマ光機のレーザー光学機器類の業況伸展と軌を一にして、同社の事業は急速に展開してきました。

 そんな中で、昨年夏、マツウラの小型MCを2台、新設。
花見社長は
「シグマ光機を主力に、丸物から角物へ大転換。角物の仕事が、どんどん増えたこともあって、 MCを増強すべく納期と価格を最優先にして、某精機製を5年前に新設しました。
しかし、使ってみて驚きました。鉄工所の荒削りでは、殆ど問題にならなかった某精機のMCが、 加工の引き目が悪くトラブル、1年余り。
とうとう某精機に引き取らせて、大幅な手直し。 どこのMCを使っても、同じ結果かと思ったのが、私の最大の失敗でした。
今でも完全に修っておらず、だましだまし使っている有様。今度のマツウラMC2台は、90年に購入したMCより一回り小ぶりの立形ですが、やはり良い仕事がしてありますね。 おかげでIT産業、光産業の研究開発から、実装のレーザ用光学機器類などで急伸中の、シグマさんの年々増え続ける仕事量も、難なくこなしています」
と嬉しそうに話されていました。


2代目はマツウラ学校の修業生/花見秀樹さん

創業者の2代目で後継者、花見秀樹さんは、'91年から3年弱のマツウラ学校の修業経験者。
「マツウラで機械加工の基礎は勿論、人と人の係わりや社会人として、より多くの世間を学びました。 マツウラ社員の同期のうち、6〜7人とは今でもつきあっていますし、仲良くしていただいています。」
と花見秀樹さん。マツウラ学校の経験が、今遺憾無く発揮されているのも、 花見社長の技能と物作りへのこだわりに加えて、これからの同社の、大きな強味になろうとしています。

活躍中のマツウラMC
活躍中のマツウラMC


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