ユーザーを訪ねて No.101
株式会社鈴民精密工業所
お客様の満足が我社の商品
――世界トップの工業用ミシン「刃物」など――


本社工場
 本社工場

 1934(昭和9)年、現社長の父、鈴木政一氏が個人創業の、鈴民精密工業所は新潟県のほぼ中央に位置する燕(つばめ)で煙管(きせる)の製造が最初でした。
もともと燕や三条は、江戸時代から和釘(わくぎ)作りを始め、そして鎚起(ついき)銅器へ、それらの技法から煙管や銅器、鉄工用鑢(やすり)の産地へ転換。
さらにそれらを基本に、鋸(のこぎり)、鑢など大工用具や金属製品の主産地と発展してきました。
現社長の祖父、鈴木民治氏の「仕立屋稼業ではなく、これから成長する金属製品を手掛けてほしい。」との思いが、同社創業の原点で、 社名が鈴民にされたのも、うなずけましょう。
 煙管をはじめた創業から3年経った1937(昭和12)年、同社は新しくミシン部品のボビンケースの製造を開始。
この新分野展開が、同社の基礎となって事業展開され、今日に至っています。
第101回目の「ユーザーを訪ねて」は、4月下旬に新潟県寺泊町の、株式会社鈴民精密工業所様を、訪問しました。


煙管からミシンのボビンケースへ大きく転換

 同社は、創業地の燕市から西南へ約12kmの、寺泊町竹森の国道116号線に面した交通至便な工業団地にあります。
同社の本社工場に、鈴木敬造社長を訪ね、同社の創業から今日まで、60有余年の経緯を伺いました。

 「燕は当社が創業当時、町中が煙管づくりでした。
だから煙管なのですが、すぐミシンのボビンケースに新天地を求めました。これが当社の原点になったんですね。
戦時中はミシンも統制品となり、中島飛行機の部品加工をやりました。これも精密部品加工に大いに役立ちました。
終戦後、すぐにミシン部品の生産再開をし、東京重機工業(現 JUKI)様を主力として、大手ミシンメーカーと取り引きを始め、 昭和31年にボビンケースのJIS指定認可工場になりました。
以来、ボビンケースの自動化専用設備をいれ、合理化に心がけました。
昭和44年にはJUKI様と提携をして、工業用ミシンの刃物を専門に納入開始。
今では工業用ミシンの刃物について、種類、数量ともに、世界トップを得ており、国内外のユーザー様から、ご愛顧頂いています」。


工業用ミシンの刃物から一般産業向け部品へ大きく展開

 工業用ミシンの部品「刃物」の一貫生産に特化した同社は、さらに大きく事業展開をすすめています。
同社取締役製造本部の志田勝二本部長は、次のように話されます。
「ミシン用の刃物といえば『糸を切る』イメージだけでしょうが、工業用ミシンは『切る』作業は数多くあるんです。
洋服やシャツの縫製を思えば分かり易いように、例えばボタン穴やポケットなども、刃物で切りながら縁取りをやるんです。
それも猛烈な速さでミシンは動きますから、切れ味は極めて大事なんですね。
それも布だけでなく、皮や紙や、最近では木工製品まで対象物になるのですからね。この刃物技術が、いろんな機器に今では使われています。
例えばミニラボ、自動駐車券、自動券売機、レジスターなどロール紙を切る刃物も、多く手掛けております。
さらに、戦前からやっていたボビンケースの各種製造技術から、ミシンや各種小型エンジンのコンロッドやシャフトへと広がり、 最近では家庭用電気バリカンの刃物も始めました。
他に、食品用や真空用のバルブも、4〜5年前から当社の稼ぎの一翼を担っています。
これらはいずれも、鍛造技術から精密機械加工技術、研磨や熱処理、そして組立検査に至るまでの一貫生産の技術蓄積があるから出来たのでしょう。」


鈴木敬造社長
 鈴木敬造社長


問題は限られた設備をいかに高稼動させるか!です

 工業用ミシンの自動糸切りと刃物を中核製品としている同社は、1ヶ月当り約2,000種類以上の部品や半製品を生産し、出荷しています。
そんな中で機械加工部品部門で指揮される、製造本部第一製造部の土田秀樹部長に切削加工、特にマシニングセンタの状況について伺いました。
「マシニングセンタ部門は、約30台の機械があります。
立形が約20台、横形10台で、いずれも限られた設備を、故障なく高精度で加工出来うるかです。
マツウラの立形MCは、高精度で稼動状況も高いと、評判も上々で、当社も既に数台あり、大いに満足しています。
この2月に初めてマツウラの横形、ES-450H IIの5面パレット付きを設備しました。
15,000回転の高速加工が出来ることも、購入動機でしたが、設置してみると、意外にコンパクトで使いやすいMCと現場からも感心した、 と言われているようです。
5面パレットですから、エンジン用コンロッドの加工など、新しい分野の仕事をどんどん乗せて、立ち上げていきます。
既設の横形MCにない、マツウラ独自の使いやすさとパフォーマンスの良さで今後が楽しみなMCです。
更新には是非ともマツウラでと、思っているんですよ。」


現代の名工(国家技能士特級・37才女性)達が、当社の実力を支えています。

 同社が工業用ミシンや、ミシンの自動糸切り装置で、強味経営が出来るまで、立ち上げられた動機や原動力は、どこにあったのでしょうか。
鈴木社長は次のように話されます。

 「昭和38年に私が初めて欧米各地で、ミシン業界を視察旅行で出ました折り、彼らの作っている工業用ミシンは糸切り加工が必須であることを痛感しました。
また工業用ミシンは縫製用に限定されず、例えばボタン付けやボタン穴あけも、全てミシンでやってるんです。
そんなことから帰国後、当社独自で自動糸切り装置を生産し、米国向けに輸出を始めました。
以来糸切り装置を基本として工業用ミシンの刃物を、当社の中核製品に位置づけ特化したんです。
これにはボビンケースを生産してきた、技術や技巧が下地にあったことは、いうまでもありません。」

 「それと当社は、小さい精密な部品を作るのを得意としてきましたから、社員一人一人の技能を可能な限り引き上げねばなりません。
160人中、男女はほぼ同数。限られた生産設備をフル稼動させるには、段取り替えを素早く、そして一人で完全に仕事がこなせねばなりません。
そのために国家試験の技能士制度を活用し、合わせて社内独特の技能士制度も国家に準じて、12〜3年前から制度化しました。
現在、国家の技能士が特級4名を含んで46名、社内の技能士は48名(うち女性40名)います。
中でも37才の女子で国家技能士の特級が1名います。
正に最年少の現代の名工なんですね。こんな優秀な人達が、当社の原動力となって支えているのでしょう。」

 「私達は最高の価値をお客様に認められる働きをし、最高の歓びを得る努力をします。」
と標榜される同社。この強味経営こそ、新21世紀を迎える確たるパワーである、と実感して同社を辞しました。

マツウラ立型MC
高精度で稼動効率も良いと評判の、マツウラ立型MC


前画面へ戻る