No.149 「独断専行」 2008(平成20)年4月号掲載


 経営者として、相談もなく行動され、そのあげく損害を被るなどは全く以って許し難い事象の1つです。
昨年の社長就任以来、コンセンサス経営を標榜し、上級管理職とのコミュニケーションは特に密にしながら経営してきました。
コンセンサスとは、共有化された情報の上に成り立っているとの前提から、独断専行などあってはならないと考えます。
ところが最近、そう思い込むのも如何なものか?と自分自身に問い掛けることがあります。
独断専行が内包するエネルギーとそのモチベーションは素晴らしいもので、社長が社員に求める1つの形ではないかと。

 独断専行とは、個人の信念に基づいた強い行動力を示した結果でもあると言えます。
上司の命令が無くとも、自身の信念に従い「会社にとっての最良の結果を目指すもの」であったならば、果たしてこれを越権行為として処罰するべきなのでしょうか?
これと似てはいるものの、全く違うプロセスを経た独断もあります。
最近の、特に若い方々は、どちらかというと何でもスマートにこなそうとするのですが、基本的な実務能力が備わっていない為、 思うにまかせず相談もできないまま握り込んで失敗してしまうケースが多くあります。
この場合は、実力不足が原因で、状況判断のプロセスがありませんから、自分の信念に裏打ちされたポジティブな独断専行とは趣が異なります。

 歴史の大転換点のその影には必ずと言っていいほど何かしらの独断専行の存在がありました。
裏打ちされた経験、局面の状況判断、揺ぎ無い信頼関係、これらが重なり合い直接的な命令はないが独自行動に至り結果がもたらされる。
局面毎での的確な状況判断が活力ある集団・組織のダイナミズムの上に形成され、失敗した時の責任を負う潔さも包含する、 そういうモチベーションに満ちた集団がマツウラの製品作りやサービスを支えてくれるように日々腐心しております。

 目指すはサッカー型の経営と以前も申し述べましたが、そもそもサッカーでは試合が始まれば選手達は独自の判断で試合の局面を動かしていきます。
つまりサッカーとは、独断専行の連鎖を経て結果を導き出すゲームとなるのでしょうか。
独断専行をされると経営者としては抵抗感がある一方、独断専行が出来る社員のエネルギーは羨ましい。
何とも矛盾した話ですが、サッカー型経営と言うからには、腹を据えておかなければいけない部分でしょうか。