No.133 縁を大切に 2004(平成16)年9月号掲載


 父から経営者として教えられた心得の一つは、”人との出会いを大切にすること”で、繰り返し教えられました。
そのお一人が大賀典雄氏(ソニー名誉会長)です。

 昭和44(1969)年、当時のマツウラの三島常務が磁気技術導入交渉のため、私を伴ってソニーを訪問したのが、初めての出逢いでした。
その後、ニクソンショック、石油ショック、プラザ合意、と大きな変化に対する大賀氏の所見は、私にとって貴重であり素晴らしい体験でした。
あれから36年、今は我社の会長としてご指導を頂いております。
平成13(2001)年12月、北京での演奏会の時に、くも膜下出血で、倒れられましたが、奥様を始め、関係者の献身的な介護によって、 奇跡的に回復され、今まで以上の活躍をしておられます。
ハーモニーホールふくいの帰山事務局長(当時)とアンサンブル金沢の山田事務局長から久し振りに福井で大賀氏の演奏をとの、お誘いがありました。
社内で相談のうえ、是非実施したい思いを大賀会長にお願いしたところ、快諾して頂きました。

 もう一人は、長岡純子女史との出逢いです。
今から20数年前、大賀氏をお尋ねしたとき、「松浦さん、あなたのところも輸出を主体に今後も望まれるのなら、 もっと社格を上げ、あなたを始め幹部の人達が国際マナーと異文化の経営を知る必要があります。 私の友人を紹介しよう」と言って、引き合わせて頂いたのが、長岡明男氏でした。
私は会ったその日に福井へご案内し、父に引き合わせ、指南役としてお迎えしたのです。
その時、奥様が著名なピアニストであり、特に「ベートーベン」については、一家言を持っておられ、 私はいつか福井で演奏をとの思いを抱いていたのです。
奥様も平成12(2000)年秋、日本での演奏を終え、帰国寸前にホテルでくも膜下出血で倒れ、病院へ運び込まれました。
40度近く熱が続く中、長岡さんも必死に看病、一時はダメかと落胆されたのですが、甲斐あって奇跡的に回復、 ピアニストとして完全復帰され、今では日本各地で演奏活動を続けておられます。

 このお二人でベートーベンの最も有名な「皇帝」をピアノで、「英雄」をオーケストラで、と話がまとまり、 11月25日(木)ハーモニーホールふくいで実現することになりました。
今回の経緯については、小野光太郎館長を始め、事務局の格別のご配慮に、改めて御礼を申し上げます。