本号の書き終わり
- 新潟中越地震、また福岡沖玄海地震と地震が多発していますが、そんな中「津波 稲むらの火」と題する絵本に出逢いました。
安政元年(1854)12月23日安政の東海地震が発生し、その32時間後に襲った安政の南海地震の時の物語でした。
五兵衛と言う庄屋さんがうなるような地震に遭遇し、高台にある庭から海を見て波が沖へ沖へひき、砂原が現れるのを見て、「津波が来る」と直感。
大きな松明で、取り入れたばかりの稲むらに火を移し、自分の田の稲むら、すべてに火をつけた。
村人が火を消しにかけ上がってくる。「うちゃっておけ」と大声で言い、五兵衛は次々に上がってくる村人を一人ひとり数えた。
その直後津波が村を襲い、この火によって村人は救われたとの話でした。
この主人公は実話でヤマサ醤油七代目当主の濱口義兵衛氏のことです。
その後私財を費やし大防波堤「広村堤防」を築き、昭和21(1946)年に発生した昭和の南海地震津波から住民を守り抜いたとのことです。
自己中心の風潮がある中、このような一人の無名のリーダーにより多数の住民が救われた話を読み、感動いたしました。
- 「愛・地球博」が開催され、毎日TV等でその話題が取り上げられています。
そんな中で、田中久重の万年時計が復元され展示されているとの報道がありました。
田中久重は通称「からくり儀右衛門」と呼ばれ、江戸後期から明治初期の発明家として活躍した人物です。
有名な”からくり”は「弓曳童子人形」ですが、この万年時計には驚きました。
第一面は西洋時刻、第二面は日本式時刻、第三面は冬至など季節区切り、第四面は七曜表、第五面は干支、第六面は一ヶ月の日づけと月の満ちかけを表示しています。
更には時計の頂上には日本地図がつき、太陽と月をあらわした赤と銀の球体が、その上を回っています。
これらが夫々独立して動いていますが、内部では互いに連結して運動しています。
しかも一回ネジを巻けば一年ちかく動きつづけるものです。
- 濱口義兵衛と田中久重の二人のことを知り、日本人であることに誇りと自信を感じました。
グローバル化が益々進行する中、改めて日本をもっと知る努力が必要ではないでしょうか。
では、また。
総務部長 上 村 誠
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