こんなユーザー No.104
ものづくりの町“大田区”でガンバル
─ 有限会社 松浦製作所 ─


有限会社松浦製作所の概要
住 所〒144-0035 東京都大田区南蒲田2-25-16
TEL:03-3739-5621
FAX:03-3737-1772
ホームページhttp://www.e-matsuura.co.jp/
代表者代表取締役 松浦 宏之 氏
設 立昭和40(1965)年5月
創 業昭和15(1940)年
従業員8名
事業内容研究関連部品の製造・修理


工場全景


 今回のこんなユーザーは、“ものづくり”の町大田区の中心である南蒲田に位置する有限会社松浦製作所を訪問しました。
「今まで色々な取材に関して社長は断ってきたのですが、今回のマツウラニュースの取材に関して社長は、お前がやるなら良いよと言って承諾してくれたのです」と専務取締役の松浦貴之氏からの嬉しい言葉で迎えられました。
松浦製作所は、昭和15(1940)年に東京都蒲田区女塚にて松浦享氏が創業。
戦災で広島県呉市に疎開しペン先工場を始め、昭和28(1953)年に再度上京して大田区でゲージ、型工場を始めました。
昭和40(1965)年に現社長の松浦宏之氏により有限会社として会社組織に変更され、昭和52(1977)年に現在の地に工場を移転され現在に至たっています。

 大田区の特徴である研究関連の部品が多く、つめの間に入るような小さな部品から、600×1000mm位のベース加工まで、様々の大きさの加工に対応しています。
現在では、大手コンピュータ関連のハードディスクの生産設備関連部品まで手掛けています。
従業員6名ですが、あらゆる加工に対応する為に、マシニングセンタ4台、ワイヤ−放電加工機2台、CNC自動旋盤1台など多数の設備を有する加工技術力の高い企業です。

親の仕事とサラリーマンには絶対にならないと決意

 取材の対応を頂いた松浦専務は、社長の御長男で今年で38歳です。
大田区の工場を回ると感じるのは後継者がいないので廃業するとの話が多くあります。
しかし松浦製作所では、松浦専務が工場運営の中核として活躍しています。
「10代のころ、工場が忙しい時には夜遅くまで働く両親の姿を見て、工場で働くことは大変だなと思い、 親の仕事とサラリーマンの二つには絶対ならないと決めていました。 それで学校卒業後色々なアルバイトをして将来の夢を探していました。 しかし23歳の時にアルバイトとして松浦製作所にはいり、職人さんにヤスリがけ、ボール盤での穴加工を習い、本格的にものづくりへの道を歩み始めました。 始めたら面白くなってきて、仕事が終わった後、趣味のバイクや楽器の部品を作っていました。 これは町工場で働く特権ですね」と松浦専務は、当時のことを語りました。


有限会社松浦製作所 専務取締役 松浦 貴之 氏

マツウラキカイに憧れる

 マツウラのマシニングを設備する前に、既に2台のマシニングセンタを使用していました。
しかし松浦社長は「量産ではなく、数が少なく高精度の仕事をやりたい。 その実現には松浦機械製作所のマシニングセンタが必要」と強く憧れていました。
夢が叶い、平成9(1997)年3月にマツウラの小型マシニングセンタMC-510VFを設備。
磨き板に穴を加工する様な単純な仕事から、高精度加工が可能になり、仕事の内容が様変わりしていきました。
「蒲田工業協会でもマツウラのマシニングセンタを入れて評判になり、“精密な加工が必要な時には松浦製作所へ頼めば、 いい仕事をしてくれるよ”と言われることもあります」と蒲田工業協会青年部の代表幹事を務める松浦専務。


平成9年に設備されたMC-510VF

2台目の設備で仕事が激減

 順調に業績も伸びて、平成11(2000)年11月に2台目のマツウラのマシニングセンタMC-550VFを設備。
しかし、その直後から仕事が減少傾向となり、松浦専務は、初めて営業活動に奔走しました。
「加工サンプルを持ち込み、松浦製作所の技術力を納得してもらい、新しい仕事先が増えました。 今まで主力得意先1社に依存していた体制から、10社ほどの得意先を確保するまでに拡張し、安定した経営基盤の確保に成功しています」と。

 しかし仕事は、試作加工が殆どで、開発部品の為に高品質なものばかりです。
「この部品がどのように使われるか、考えて作れ。またお客様がバリ等で手を切ったりしない様にしっかり仕上げろ」と松浦社長の品質にこだわる姿勢をお聞きし、 このコダワリが“技術の松浦”との評判を支えています。


平成11年に設備されたMC-550VX

ものづくりの心が生かされた製品を作っていきたい

 高精度加工が出来るとの評判で、高精度のピン加工なども依頼があります。
しかし大田区では、多くの工場が廃業している現実があり、外部に委託するとお客様の納期に間に合いません。
従ってCNC自動盤など設備機械が増えています。
「この工場で加工したものは、品物を売っているのでなく、技術を売っているとの思いで仕事をしている。 たまに同じ図面で価格を下げられないか、と言われる時があるが、それはお金を付けてくれと言うのと同じこと。 またオーバースペックと言うお客様もあったが、その様なお客様は向こうから離れていった。 今後も品質は絶対に落とさず、技術の松浦として、“ものづくりの心が生かされた製品”を作って行きたい」と決意を語る松浦専務です。



 大田区の近隣を歩くとシャッターの閉まった工場を多く見ます。
日本のものづくりを考えると、将来が不安になります。
しかし今回の取材で若き後継者の松浦専務のお話から、高精度の試作加工に特化して生き残りを掛ける新しい大田区の企業像を実感しました。
またその一端をマツウラのマシニングセンタが担っていることにメーカーとしての重責を感じた取材でした。


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