ユーザーを訪ねて No.108
トウヘイ機械株式会社
ニット丸編と靴下の生産に大きく貢献する
丸編機用「釜」のトップメーカー



トウヘイ機械株式会社 
本  社大阪府柏原市円明町1000-121
代 表 者代表取締役社長 平井一三 氏
資 本 金1,800万円
従 業 員 数9名(常勤役員を含む)
事 業 内 容丸編機用ダイヤルシリンダー、自動靴下編機用シリンダーの製造

  


<35年前のニーズがマツウラのプロコンに―>

社長 平井一三氏専務 平井貞三氏

 「35年前のニーズが、今でも生きているんです。松浦さんのプロコンは―。 松浦さんの機械への熱意と技術力、そして先見性には脱帽です」と、 トウヘイ機械株式会社の平井貞三専務。

 1958(昭和28)年1月、大阪府大東市で現会長の平井豊次氏と現専務の平井貞三氏の兄弟が、 自動靴下編機用の替釜に関わる加工業を創業したのが、同社の原点です。

 もともと、平井さん兄弟の実父の事業が、昭和大恐慌時代に失敗して辛酸をなめつくされ、 「親父の失敗した事業を再興する目的」で創業されたものです。
以来、朝鮮動乱から戦後の復興景気の時流に乗って、編機の事業も大きく伸展、同社の事業基盤が出来ました。

 1965(昭和40)年に、丸編機の中で靴下編機用の円筒型の釜が大きく伸びたこともあって、 ナイロンなど合繊用靴下やパンティストッキングなど需要が急増。
奈良県は大和高田を中心とした靴下産地のメッカ、大和高田市築山へ工場を移転し、 工場を靴下用編機の釜を主力に丸編機用釜の製作に特化。
靴下編機が多く稼動している靴下編工場からの適格なニーズに応えられるよう、 木目細かな体制にされました。
これが、今日の同社「丸編機用釜のトップメーカー」の発展につながっています。

 第108回目の「ユーザーを訪ねて」は、丸編機の釜(シリンダー)を専門に製作販売し、創業から40余年。
大手繊維や紡績メーカーから、中小編工場に至るまで数々の実績をあげているトウヘイ機械株式会社の本社工場を、 実りの秋10月は下旬に訪ねました。


<ファッションの流行は、釜製作の技術と鍛練で>

 同社の丸編機用釜は、編機の糸を引っかけている針を上下運動させるための円筒状 (シリンダー状)の特殊鋼に、細い精密な溝を切るものです。
釜の材質は丸状の特殊鋼を鍛造して円筒とし溝加工するもので、形状は最大で直径40吋(約1m)、高さ12〜15cm程度。 直径40吋の周囲には、1吋につき約40本で深さ3.5mm、巾0.3〜2.5mmの溝を切り込みますから、 周囲は都合5,000本程の精密な溝を切ることになります。
これらは、セーターや肌着、外着のニット製品用の丸編機に欠かせないものです。

 また、パンストや靴下用の釜には、直径2.5〜10吋(約6cm〜25cm)、高さ10〜15cm程で、 周囲には1吋につき約8〜40本の精密な溝を入れるものです。
針の太さは0.3〜2.5mmで、ファッションの流行によって、溝の数を変えるため、同社の釜も、 仕上げる生地によっていろいろな仕様になります。

 同社は、このような丸編機用と靴下編機用の釜(シリンダー)専門工場として、 今では日本でトップの「ニット製品の丸編機シリンダー工場」となり、端的に言えば、 女性用のパンストなどファッションの流行は、 トウヘイの技術と鍛練がなければこれほど普及しなかったと言わしめるだけの、 特異な企業に成長しています。

靴下編機用シリンダーの加工に30余年、
連続稼働中のプロコンフライス盤HB-1型
横形プロコンフライス盤HB-1型で、2個の
加工物を一度で連続加工している、加工装置



<松浦プロコンで、昼夜兼行の無人運転を30年前から>

 微妙なファッション製品を編み出す丸編機用や靴下編機用のシリンダーは、 今から36年前に同社設備として購入された松浦のプロコンフライス盤が、 同社の革新的な加工工数削減とコスト削減を実現しました。
当時から同社工場の現場で生産技術責任者だった平井専務が話します。

 「溝切りは、当時、全て手動による割り出し加工でした。
たまたま昭和39年秋の国際見本市で、松浦機械という聞き覚えのないメーカーが、 プロコンという電気による制御方式の自動フライス盤を出展していまして。
その時の自動制御と松浦の斬新なアイディアと技術に見惚れ、そのまま新しい設備として注文し、 翌年4月に購入、設備しました。
それが、ミクロマンH-1型のメカによる割り出し装置付きの自動フライス盤で、 靴下用釜の溝切り専用にしました。
最初は1列の溝切りでしたが、2列による同時溝切りが出来るようにお願いしまして。
上手く松浦さんがまとめてくれて、自動割り出しつきの同時2列溝切りが出来るようになった。
以来、夜間無人運転が出来、今までの加工時間と加工精度が飛躍的に向上しました。
その無人運転の技術は、松浦さんの今で言う適応判御を、上手く利用したんでしょう。
加工途中に刃物が不良になると、電気的に負荷がかかって止まる仕組も、 松浦さんに昼夜兼行運転がここまでやれるんだから、切削予知機能も付加するよう願い出て、 私達のニーズに応えてくれたんです。
これが、昭和40年当時の私と松浦さんとの、ニーズへの挑戦でした。」

トウヘイ機械とマツウラとの相互研究で作り上げた、
靴下編機用シリンダー加工用装置
丸編機用シリンダーの加工をする
プロコンフライス盤HB-1型も、連続稼動32年余り



<まだ現役で昼夜稼働中、30年前の松浦のプロコン>


自動靴下編機用シリンダーは精密加工の極致です

 以来、松浦の丸編機用釜を加工する特殊装置付きプロコンフライス盤は、昭和48年までの9年足らずで、9台を購入。
同社最大の戦略設備として、昼夜兼行で働き続けました。
平井専務は、さらに話します。

 「設備当時より刃物が良くなってきましたから、松浦製のプロコンも回転数や動きなどの能力を高め、 今では最初から2.5〜3倍に生産性が高まっています。
こんなにトウヘイが松浦さんに惚れたのは、アフターサービスが素晴らしく良かったことで、 会社のトップ級が昼夜に関係なく飛んできてくれ、適切に対処したからでしょう。
松浦の設備導入で、昭和40年には役員を入れて約20名いた従業員が、昭和52〜53年頃には9名ですよ。
プロコン1台は従業員4〜5年で1人分の人件費で買えました。
しかし、予想以上の稼ぎ、年間3.5億円以上の売上を確保。
1人当たりの稼ぎで見れば、大変な収益となり、お蔭様でトウヘイは筋肉質の企業になりました。」

 「昨年、久しぶりに松浦の最新鋭マシニングセンタを設備しました。
でも、30数年前の松浦製と比較すると、私には見劣りがしたんです。
確かに外観や機能は大変良くなっていますが、機械本来の機能は30年前の方が確かなような気がします。
無論、これは松浦だけでなく、世の中の流れがエエカッコシイになったんでしょうけどね。」

 同社では、30余年前に設備した9台の松浦プロコンのうち、現役で昼夜フル稼働中のもの6台。
1台は近くの工業高校へ、1台は廃棄、残りの1台は「現役6台のメンテナンス用部品に使うため、 大事に保管しています」と、平井専務。

 その工場を、平井社長と平井専務の案内でつぶさに見学しました。
1967(昭和42)年5月のプロコンSB-1型の靴下用シリンダー加工機が 「止まっているかと思って近くに行ってみれば、静かにしっかり仕事をして」いました。

 1965(昭和40)年4月に松浦製プロコンを設備してから、今も6台が現役で稼動している同社の主力設備。
そのプロコンを慈しむように手で撫でながら、平井社長と平井専務は「トウヘイは松浦のこの機械で稼ぎ、 とにかく生きてきました」との言葉。
私達にとって、涙が出るほど有り難い一言でした。


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